土佐源氏の原作

先日、本屋で平凡社ライブラリーの『日本残酷物語 I 貧しき人々のむれ』という本を見つけた。パラパラとめくっていたら、坂本長利の一人芝居「土佐源氏」の原作に当たる宮本常一(みやもとつねいち)の「土佐檮原(ゆすはら)の乞食」という文章が掲載されていたので買ってしまった。一人芝居を見たのはもう20年ほど前のことになるのだが、今でも強烈な印象が残っており、また味わいたいと思っていたのだ。

「土佐檮原の乞食」とは、民俗学者である宮本常一が戦時中、高知県の檮原の橋の下に暮らしていた老乞食へのインタビューをまとめたものだ。この老人は若い頃から博労(ばくろう)をしながら、女性遍歴を重ねた。終いには遊びがたたって盲目になってしまう。その中でも彼がとくに好きだった二人の女性の思い出が語られる。村のコミュニティに入ることのできなかった彼が関係を持つのは常に後家か人妻であり、この二人の女性も身分の高い人妻であった。

それにしても、村人からも相手にされず、つまはじきにあっていた、まっとうな定職をもたない男がなぜ次々に女性と関係をもつことができたのか。老人の言葉を引用してみよう。

「どんな女でも、やさしくすればみんなゆるすもんぞな」
「わしにもようわからん。しかし、男がみな女を粗末にするんじゃろうのう。それで少しでもやさしゅうすると、女はついてくる気になるんじゃろう」
「わしはなァ、人はずいぶんだましたが、牛はだまさだった。牛ちゅうもんはよくおぼえているもんで、五年たっても十年たっても、出会うとかならず啼くもんじゃ。なつかしそうにのう。牛にだけはうそがつけだった。女もおなじで、かまいはしたがだましはしなかった」

「男がみな女を粗末にする」という言葉は、やさしい男が増えたと思われる現在でもなお状況を言い当てているのではないだろうか。自分の見聞きした狭い範囲の中でも、不幸をかかえている女性、離婚を決意した女性の傍らには、女を粗末にする男がいたと思い当たるのである。

自分の父のことを思い返してみると、女を粗末にしていたのかもしれないなとも思えるし、そうでないとも思える。父は生涯に3回結婚している。2回の離婚の原因は父の短気にあったようだ。3回目の結婚相手、つまりぼくの母とのことでいえば、会社現役時代は遊び歩いて家にあまりいなかったらしく、後年ぼくにこぼしたことがある。しかし、おとなしく忍耐強い母を父は気に入っていたらしく、親戚の集まりで酒を飲んでは「おるげん(うちの)女房は世界一」と言っていたそうだ。

18年前に母がくも膜下出血で倒れてからは、入院中は毎日看病したし、自宅に引き取ってからは母を介護し、家事を全て一人でこなしていた。病院では夫を看病する女性たちが、夫に世話してもらえる母のことを羨ましがったそうである。自宅介護期間中、母は父に甘えてあまりリハビリに励まなかったらしい。生涯で初めて夫にゆっくり甘えられる時期だったのかもしれない。

というわけで、父についてはよく分からない。女を粗末にもするし、大事にもするという二つの側面をもっていたというのが実態だろう。

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