生まれた町

8月21日から22日にかけてぼくの実家に家族で帰省しました。駆け足の旅でしたが、いろいろと感じることや考えることがありました。

ぼくの実家は熊本ですが、生まれた町は福岡県の大牟田市です。かつて炭鉱の町として栄えましたが、1960年頃の最盛期を過ぎると石炭産業は衰退して人口も減り、1997年に最後の炭坑が閉山となりました。

今回は、二日目に家族と一緒に大牟田に行き、石炭産業資料館、生まれ育った社宅跡地や通った小学校などを見て回りました。

最初に父の車の先導で市の南部、三池港に隣接した広大な炭鉱社宅跡地をみました。ちなみにここはぼくの生まれた場所ではありません。かつておそらく数千~数万の人が暮らしたであろう三川社宅は 10年ほど前に閉鎖され、整地されて、貯炭場に変わっていました。土砂降りの雨の中ぬかるんだ黒い泥地に車を止め、写真を撮りました。父はここで帰りました。

一杯300円という格安のラーメン屋で昼食をとった後、石炭産業資料館を見学しました。石炭産業の歴史展示のほか、子ども科学館にあるような遊び道具もあるので、子どもも楽しめたようです。ここには、炭鉱で使われた採炭機械がいくつも展示してあり、実際に動くものもあるのでおもしろかったです。

市の北部にぼくの住んでいた社宅があります。7~8年前に訪れたときは、まだ社宅は残っており、すんでいる人たちもいました。

社宅がどういうものか想像できないかもしれませんね。木造の粗末な建物で、一棟が真ん中の壁で仕切られて二世帯が居住するようになっていました。間取りは、4畳半、6畳、3畳の和室と猫の額ほどの台所、便所、そして小さな庭がありました。何か足りないものがあると思いませんか? そう、お風呂です。風呂はありませんでした。その代わり、共同の大浴場があり、そこに通っていたわけです。少し離れた場所に、「職員住宅」とよばれたホワイトカラー用の社宅がありましたが、それらは2階建てで各戸に風呂が備えられていました。そこにすむ子どもたちはぼくらのもっていないようなおもちゃをもっていました。「スネ夫」みたいな感じで見ていたかもしれません。

さて、前回訪れたときは、人の住んでいない家は廃屋となっていました。中をのぞくと、何本もの笹が、床と畳を貫いて家の中に伸びていて、驚きました。社宅の住民が利用していた郵便ポストに、そのポストが廃止されたことを告げる紙が貼られていたのはわびしい光景でした。しかし、ぼくが生まれてから小学5年生まで過ごした住宅は残っていましたし、遊んだ児童公園も、水遊びをしたプールも雑草の中に隠れそうになりながらも、そこにありました。

昨日、社宅のあった場所に着いたとき、ぼくは自分がどこにいるのかさっぱりわかりませんでした。どこに社宅があるのか、見当がつきませんでした。そこで、まず通った小学校に行くことにしました。小学校は30年前に建てられた校舎が、すすけて汚れてはいましたが、今もそこに建っていました。そこで、もう一度小学校からのルートをたどって社宅のあったはずの場所へ行きました。

そこで目にしたものは、真新しい家々の並ぶ住宅地でした。開発されて間もないらしく、「宅地分譲中」の看板がそこかしこにありました。社宅も、公園も、プールも、ポストも、なにもかもなくなり、新しい町に生まれ変わっていました。

それは不思議な感覚でした。自分の生まれた場所が地上から消え去ってしまった。桜の木に登って紫色の実を食べたこと、プールで水遊びをしたこと、ブランコでジャンプをしたこと、それらを懐かしむ場所は、もうどこにもないのです。

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