ヒロシマに生きるものの一人として

(季刊『批判精神』第2号、「核廃絶伝言板」の原稿として5月4日に書いたものです。雑誌が発売になったのでHPに掲載しました。季刊『批判精神』についてはこちらをご覧ください)

「広島には世界各地から多くの人々が訪れます。平和運動をしていると、平和について考えているのは自分だけじゃないかと時々孤独な気持ちになります。しかし、広島に来て、平和公園を歩き、原爆の子の像に捧げられた無数の折り鶴を見ると、こんなにも多くの人が平和について考えていることに大変勇気づけられ、帰国後再び元気に活動ができます。ヒロシマとはそういう土地なのです」

先日、広島市内のワールド・フレンドシップ・センターを訪ねたとき、赴任して間もない初老のアメリカ人館長からこのような言葉を聞いた。たまたま、そのときセンターに宿泊していたカナダ人姉妹とも少し語り合い、ヒロシマにふれた感動を聞くことができた。

広島に住み、日々の活動に追われていると、時々自分のしていることの意味を見失いそうになることがある。が、このような言葉を聞くと、逆にこちらの方が勇気づけられる。

私は、「8・6ヒロシマ平和へのつどい」という市民団体や個人が集まってつくるヒロシマデーの平和集会で、事務局を担当している。つどいでは、毎年8月5日と6日を中心に、討論集会、ワークショップ、ミニコンサートなどを開催してきた。一人の市民として平和を考え、互いの思いをぶつけ合う、そういう集会を目指している。また、関連団体「ヒロシマの今から過去を見て回る会」主催で、軍都・被爆遺跡めぐり、軍事施設を海から見るクルージングなどのフィールドワークも行われている。

昨年は、8月5日夜に、各世代から6人のリレートークと小グループに分かれた討論のつどいをもった。夜9時半からは原爆ドーム前でキャンドルを灯してミニコンサート。6日午後に核問題シンポジウムを開催した。各地で平和への取り組みをしている人々が出会い、エネルギーを分かち合い、元気をもらって帰ることができたものと信じている。今年のつどいに向けた取り組みも始まっている。

つどいの特徴の一つは、早くから広島の被害と加害の二つの側面を取り上げてきたことだ。広島で平和を考えるとき、原爆の被害について語ることは欠くことができない。しかし、広島という町が西日本有数の軍事都市であり、日本の侵略戦争において大きな役割を果たした「加害」の側面についての認識がないと、耳を傾けてもらえない人々がいることも事実だ。問題は、日本が侵略をしたのだから原爆投下は仕方がなかったのだ、と考えてしまう人々がいることだ。どのような理由があろうと、非戦闘員を巻き込んだ無差別大量殺戮が許されてよいわけがない。

最近、被爆証言活動をしている久保浦寛人さんの証言を聞く機会があった。彼は被爆体験を語る前に、こう前置きをしている。「世界には多くの戦争被害者がいるので、原爆の被害の面だけを話しても相手には伝わらない。原爆は過酷で、残忍で、恐ろしい兵器だ。再び人類に向かって落としてはならない。自分の語る事実を土台にして皆さんの生き方を考えてほしい」

この言葉によって、証言を聞く者は、原爆が日本帝国主義からアジアを解放したとか、原爆はパールハーバーへの報復だ、などという国籍による立場への固執から解放され、未来の世界に責任をもつ一人の個人として被爆体験と向かい合うことができるのだ。

被爆者が自らの体験を語るときには、これでよいと思う。被爆者に日本の加害を謝罪するよう求める必要はない。しかし、私のような戦後世代はどうとらえればよいのだろうか。自分は原爆の直接の被害者でもなければ、戦争を起こした加害者でもない。私にできることは、自分の国の歴史的責任を引き受けることだと思う。それは、日本の侵略戦争の過ちを認めること、日本政府に対し戦争責任・戦後責任をとるようたとえ小さな努力でも働きかけることだ。自国の誤りを正当化しない、だからこそ原爆投下の正当化も許さないのだ。

これからも、広島を訪ねる人々に勇気を与えられる広島であってほしいと願う。そのために、自分にできる小さな積み重ねを大事にしていきたい。

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