<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	
	xmlns:georss="http://www.georss.org/georss"
	xmlns:geo="http://www.w3.org/2003/01/geo/wgs84_pos#"
	
	>
<channel>
	<title>
	湯崎稔先生と湯崎秀彦氏 へのコメント	</title>
	<atom:link href="https://peace.junyx.net/essey/471/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://peace.junyx.net/essey/471</link>
	<description>Thoughts of a Humble Man</description>
	<lastBuildDate>Sat, 03 Feb 2018 06:39:09 +0000</lastBuildDate>
	<sy:updatePeriod>
	hourly	</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>
	1	</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=5.9.2</generator>
	<item>
		<title>
		守屋　隆志 より		</title>
		<link>https://peace.junyx.net/essey/471#comment-45</link>

		<dc:creator><![CDATA[守屋　隆志]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 03 Feb 2018 06:39:09 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://peace.junyx.net/?p=471#comment-45</guid>

					<description><![CDATA[私は神奈川県川崎市川崎区の市立田島小学校の卒業生（1958年度）なのですが20歳で病気で亡くなった2歳下の妹の小学校時代の恩師が湯崎稔先生でした。

妹の6年のクラスの受け持ちを最後に湯崎先生は広島大学の原医研に移られたのですが、湯崎先生がその直前まで川崎市立田島小学校で教師をされていたことは先生の経歴のどこにも出てきませんしGoggleなどでいくら検索してもなにも出てきません。

湯崎先生の業績にはあまり関係ないのかも知れませんが
私には少し残念です。なぜなら私の母校（小学校）の先生だったのですから。（私の調べ方が足りないのかも知れませんが）---妹が病気で亡くなったときは遠い広島の地から妹の死を悼んで教え子（同級生）を通じ花を贈ってくれました。ですから湯崎先生が小学校の教師をされていたことは間違いないのですがそのことが湯崎先生の経歴にいっさい出てこないのはなぜなのかといつも不思議に思ってきました。

湯崎先生が亡くなられた後、先生の奥さんが広島の宮島に住んでいられるというのを広島大学から聞いて住所を伺い電話で連絡をとったことがありますがそれはもう21年も前のことになります。そして息子さんの英彦氏が広島県知事をされていることを知ったのは彼が2期目に当選した直後のことでした。 

湯崎先生が広島大学に移って以後のことは先生の業績をあわせ大学の教え子もたくさんおられますから良く知られていますがそれ以前のことであまり知られていないこともあると思ってあえて書いてみました。

(2018.2.3　横浜市在住・守屋隆志)]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>私は神奈川県川崎市川崎区の市立田島小学校の卒業生（1958年度）なのですが20歳で病気で亡くなった2歳下の妹の小学校時代の恩師が湯崎稔先生でした。</p>
<p>妹の6年のクラスの受け持ちを最後に湯崎先生は広島大学の原医研に移られたのですが、湯崎先生がその直前まで川崎市立田島小学校で教師をされていたことは先生の経歴のどこにも出てきませんしGoggleなどでいくら検索してもなにも出てきません。</p>
<p>湯崎先生の業績にはあまり関係ないのかも知れませんが<br />
私には少し残念です。なぜなら私の母校（小学校）の先生だったのですから。（私の調べ方が足りないのかも知れませんが）&#8212;妹が病気で亡くなったときは遠い広島の地から妹の死を悼んで教え子（同級生）を通じ花を贈ってくれました。ですから湯崎先生が小学校の教師をされていたことは間違いないのですがそのことが湯崎先生の経歴にいっさい出てこないのはなぜなのかといつも不思議に思ってきました。</p>
<p>湯崎先生が亡くなられた後、先生の奥さんが広島の宮島に住んでいられるというのを広島大学から聞いて住所を伺い電話で連絡をとったことがありますがそれはもう21年も前のことになります。そして息子さんの英彦氏が広島県知事をされていることを知ったのは彼が2期目に当選した直後のことでした。 </p>
<p>湯崎先生が広島大学に移って以後のことは先生の業績をあわせ大学の教え子もたくさんおられますから良く知られていますがそれ以前のことであまり知られていないこともあると思ってあえて書いてみました。</p>
<p>(2018.2.3　横浜市在住・守屋隆志)</p>
]]></content:encoded>
		
			</item>
	</channel>
</rss>
