あるアメリカ人女性の死

大学時代、平和活動を通じて知り合った日本在住のアメリカ人女性Mさんが数日前に亡くなりました。ご主人のブログによると、今朝が愛知県内のカトリック教会で告別式とのこと。

英文のニュースレターを作るのに、山ほどの文章を快く添削してくれました。ぼくの英語を鍛えてくれた方の一人だとあらためて思い起こします。とても明るい性格で、クロッグダンスを踊り、また指導もしていました。その後結婚されたご主人は日本人で、大学の先生。その方の文章(英文)を読むと、彼がどれほどMさんを大切に思っていたかが分かります。彼女は家族に、本当にたくさんの幸せを与えていたのだろうと想像します。

7年前に患った乳ガンが昨年再発し、今年それが脳に転移して、手の施しようがない状態になったのだそうです。

Mさんが、信仰する神様のそばで、安らかに過ごされることを願います。

思えば、今年は人の生き死にについて深く考えざるを得ない年でした。春に父が肺ガンにかかり、年を越せないだろうと聞きました。そして秋に父が亡くなりました。お会いしたことのある被爆者の方も3人が亡くなりました。高橋昭博さん、河合護郎さん、そして中沢啓治さん。平和活動を一緒にした山田忠文さん。そして、Mさん。

自分自身がこれからの人生をどう生きるのか、そしてどう死ぬのか。一日一日が悔いのないように生きたいと、あらためて考えています。

生きることはそもそも苦である

ブッダの教えの基本中の基本。
「生きることはそもそも苦である」
てことは、楽がずっと続くなんてことはあり得ないわけで、苦の中に楽が時々あるのが普通ってことだよね。
ぼくの人生、はために見たら楽しそうに見えるかもしれないけど、試練の連続さ。

今は、職場を守るために、時間と資源の制約の中で新製品を作ることが課題。そうした中にも、「マーフィーの法則」は次々と襲ってくる。今日は、前任者の残したトラブル収束のため、3回目の訪問打合せ。なんとか、お客さまの怒りを静めて信頼回復ができて一安心。その分、苦労をかける同僚には多謝、である。

最近は、密度濃く考えなければいけない状況なんだけど、今日思ったのは、お金もないのに人を巻き込むにはビジョンが必要だということ。これを作ること、これを普及させることによって、社会をどのように変えるのか。会社の金儲けのためだけなら、社外の人に協力を仰ぐことはできないだろう。

ビジョンをきちんと言葉にする、そして分かりやすい図にして説明できるようにする。こんなことが大事ではないかな、と考えている

逝きし世の面影

今、読んでいる本は渡辺京二著『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)です。江戸時代の日本という一つの文明を、幕末から明治初期に外国人が残した著作を元に再構築する試みです。

彼らが出会った日本人は、誰にでも親切で、客にも仲間にも礼儀正しく、しょっちゅう冗談を言って笑い合い、心からの笑顔を見せる人たちでした。そのような国は世界のどこにも例がないこと、こうした素晴らしい特性が明治になって急速に消えていったことを、彼らは書き残しています。

ぼくは、高校生の頃まで、歴史というのは直線的に進歩するものだ、江戸時代は農民が抑圧された暗黒時代だった、と思っていました。大学に入って、別の色んな知見にふれるようになると、疑問が起こりました。習ったことは本当か?
NHKの名番組『お江戸でござる』は江戸時代の庶民の生活を描き出し、秀逸でした。今は亡き漫画家の杉浦日向子さんが、江戸の習俗について楽しい解説を行い、毎回楽しみに見ていたことを思い出します(杉浦さんの新作が出ないことを思うと、とても残念です)。

現在では、明治期になって歪められた日本人の価値観に大きな疑問を感じるようになりました。例えば、男尊女卑は明治になって武家社会的な価値観を政府が国民全体に広げたものですが、今では日本の伝統的価値観と考えられています。そもそも、江戸時代の庶民は結婚と離婚を日常的に行っていて、妻が夫に一方的に服従するなどと云うことはむしろ少なかったと思われます。
「三行半」(みくだりはん)という言葉は、現在では夫が妻を強制的に離縁する時に使われますが、江戸時代の使われ方はその反対で、夫婦が結婚するときに、役所が夫に書かせて妻にもたせた書状です。そこには、「私は妻を離縁したので、今後一切元妻に対する権利主張を行いません」という意味のことが書かれています。つまり、妻はいつでも好きなときに夫と離婚できたというわけです。現在のシステムよりよほど進んでいます。

悲観的な人にどう声をかける?

物事に対して前向きになれず、絶えず悲観的な考え方をしてしまう人に、どのように声をかけたらいいのだろうか。
 自分の経験では、悲観的なときは、数多くの「べき」に囲まれて身動きがとれなくなっている。あれをしろ、これをするな、規則を守れ、決定事項に従え、といった「何々すべき」の通りに行動できず、できない自分を責めるのだ。
 楽観的・前向きのときは、「べき」のことはほとんど頭にない。あれがしたい、これがしたい、こうしたら面白いんじゃないか、とワクワクしている。今は、ぼく自身は(なんとか)前向きの状態を保っている。
 では、後ろ向きな人にどう云えばいいのか。一つ分かっていることは、叱ってもダメだということ。ぼく自身、自分の欠点を直せといわれて元気になったことなどない。まして、会議の場でそれを云われるのは辛い。ますます、自分はダメなんだと思ってしまう。
 あなたならどう云う?

アイディアを生み出すために

大学2年の頃、広島大学総合科学部初代学部長で、当時県立広島女子大学学長だった今堀誠二先生(故人)に、総合科学部創設のいきさつと理念についてインタビューしたことがある。総合科学部報『飛翔』に2回に分けて連載記事を掲載した。
 今堀先生は、アメリカのリベラルアーツをモデルとし、複数の分野を専攻することにより新しいアイディアや発見を生み出す人材を育成することを目的としていらした。現実の総合科学部がそのように機能していたかどうかは別として、そうした理念の下に創設された学部に在籍することを誇りに思ったものだ。

 発見というのは、多くの場合、ある物事を別の視点から見ることによって生まれる。一つの専門だけを掘り下げていくだけでは、新しい視点がないので発見は難しい。
 だから、アイディアを生み出すためには、学ばなければならない。一つでなく、複数の事柄を学ぶ必要がある。
 アイディアが生まれるためには、リラックスしなければならない。緊張状態に置かれているときにはアイディアが生まれることはない。追いつめられた人は頭が真っ白になるだけだ。
 そして、アイディアを生み出す人は、学ぶことを楽しむ人だ。それは人生を楽しむことでもある。アイディア豊かな人は文化の遊びを知っている。