16年前の今日、午前11時過ぎ、息子が生まれました。陣痛が始まり病院に来てから12時間以上が経っていました。義母とぼくが出産に立ち会っていました。
医師は男女二人いて、男性の医師が妻のお腹をぎゅうぎゅう押すようにして、赤ん坊が出てきました。赤ん坊はすぐに脇の小さなベッドに寝かされ、このときを待っていたかのように勢いよく放物線を描くオシッコをしました。義母は感極まって、涙を手で押さえました。
このときの光景を、この日の喜びを、ぼくは忘れることはないと思います。
私たちは、この子に、夜明けと生命を意味する名前を付けました。1991年、第一次湾岸戦争を経験し、日本が戦争のできる国になろうとする暗い時代の中で、この子は私たちにとって一筋の希望であったし、そのような人に育ってほしいとの願いを託したのです。
折しもこの日、妻が就職以来お世話になっていた、引退した老先生が亡くなりました。妻と同じ教会の教会員でもありました。子どもさんはいらっしゃらなかったのですが、自宅に住まわせている留学生の若者たちが彼女の子どもたちのようなものだったそうです。いつも明るい笑顔で、元気をくださる方でした。
まるで、その方の生命がうちの子にバトンタッチされたかのような気持ちがしました。赤ん坊の屈託のない、大きな笑顔をみると、その感を強くしたものです。
その子も今では高校一年生。不機嫌なティーンエージャーです。まるで、一人で育ったかのように大きな顔をしています。髪の毛をぴんぴんに逆立てるために、朝30分以上も洗面台を独占しています。
今日の夕食には、いつもより少しご馳走を作りたいと思います。