6月16日(土)、平和のためのヒロシマ通訳者グループ(HIP)の例会でした。講師は被爆者で韓国の原爆被害者を支援する会・広島支部代表の豊永恵三郎さん。1971年から韓国在住の被爆者の支援活動に取り組んでこられました。
まず、この問題に関心をもったきっかけです。小中学校時代、周囲に韓国朝鮮人の生徒が多かったそうです。また、教員になってからクラスに多くの韓国朝鮮人生徒がいて、彼らのほぼ全員が本名ではなく通名で通っていることを知り、在日朝鮮・韓国人差別をなくす活動を同和教育の中で取り組むようになったそうです。
1971年、このような活動が評価され、韓国政府から9人の日本人教員が招請された時、日程が空いていた日に韓国原爆被爆者援護協会を訪問したそうです。軍事政権の下、社会運動が許されるような状況ではない韓国で、被爆者たちは細々と活動していたということです。彼らは、日本の被爆者が得ていたような医療費無料化や健康管理手当などの援護を全くもっていないのでした。
帰国後、大阪で結成された韓国の原爆被害者を支援する会の広島支部を立ち上げ、数多くの在韓・在米・在ブラジル被爆者の訴訟を支援してこられました。こうした在外被爆者は、最初全く援護を受けられませんでした。 しかし、これらの裁判を通じて、次のように一歩ずつ権利を勝ち取って来たのです。
・被爆者手帳の日本国内での申請・交付
・被爆者手帳が国外に出ても有効になった
・被爆者手帳を居住国からの申請
・各種健康手当の居住国での受け取り
・各種健康手当の居住国からの申請
等々
地道な取り組みを、息長く続けてこられた豊永さんに拍手を送りたいと思います。