25回目の結婚記念日

今日は25回目の結婚記念日だ。世間では銀婚式というらしいが、特別な祝いの予定もないし、余裕もない。しかし、結婚してから四半世紀が過ぎたのかと思うと、感慨深いものがある。

夫婦の一番の大事業は子育てだっただろうと思う。もちろん親になれば子どもを育てるのはある意味当たり前のことだ。大事業なんて大げさかもしれない。夫婦とも親が離れた土地に暮らしているので、親を頼るわけにもいかず、子どもが病気になればどちらかが有休をとり、病児保育室のお世話にもなった。夫婦のどちらかが外食をするときはもう一人が必ず息子に夕食を作って食べさせた。ぼくがNPOや自営で働いていた頃は、夕食の大半はぼくが作った。その一人息子も大学入学が決まり、東京で一人暮らしを始めた。母親としての目から見ると、息子は頼りないところが多いのだろうが、正義感が強く、情に厚い、良い青年に育ったのではないか、とぼくは考える。

二人が結婚したとき、ぼくはまだ大学院の1年生だった。それから4年間、安定した職をもつ妻が家計を支えてくれた。会社勤めに息苦しさを感じ、社会活動に時間を割くため契約社員になったとき、それを認めてくれた。2000年に会社を退職し、NPOの職員になった時も同じだ。ぼくは人生というのは、一つの実験のような気がしている。本番というのはない、あらゆることが、うまくいくかどうか分からない実験だ。そんな実験のような人生を可能にしてくれたことに感謝している。

25年も経つと、恋人同士のようなトキメキはない。長年連れ添った夫婦というのはそういうものだろう。友だちか兄弟と一緒に暮らしているような感じだ。なぜ一緒にいるかと聞かれれば、子どもに対する責任というのが一番大きいだろう。しかし、長く続けてこられたのは、共通の価値観をもつことが大きかったのではなかろうか。領域や対象は違っても、平和や人権について、それぞれに活動を続けてきたことはたしかだ。

25年間一緒に過ごしてくれたことを、一つの節目として、妻に感謝したい。

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