核文明に滅びるわけにはいかない-湯浅一郎

ピースデポ代表で、元ピースリンク広島・呉・岩国世話人の湯浅一郎さんが韓国の市民団体に送られたメッセージを転載します。

核文明への警鐘 / 東日本大震災・福島第1原発事故 ~核文明に滅びるわけにはいかない~

湯浅一郎(ピースデポ代表)

韓国の皆さまが、日本での災害に想いをはせ、支援活動を始めることを知り、心から感謝し、お礼いたします。本当にありがとうございます。

 2011年3月11日、私たちは、未曽有の経験をしました。午後2時45分頃、東北地方の宮城県沖130kmの海底24kmを震源としてマグニチュード9の大地震が発生しました。断層面は、東西200km、南北500kmに渡り、大津波が多くの市民の生命と生活の場を奪いました。津波の被災地では、広島・長崎の被災跡かと思わんばかりの光景が、海辺のいくつもの町に広がりました。今日現在、死亡・行方不明者は計約2万7千人、避難所などにいる方は約25万人に及び、救援活動が必至に続けられています。

 今回の地震災害に関わって最も深刻なことは、東京電力福島第1原発で、原子炉内での燃料棒の一部溶融、水素爆発、使用済み核燃料保管プール発熱など、冷却に関わる事故が相次ぎ、原発で最悪の事故と言われる炉心溶融の寸前まで行き、相当量の放射性物質が環境中に放出され、今も終息していないことです。

 地震と同時に運転そのものは停止しましたが、最高5mの津波を想定して設計された施設に10mを超す津波が押し寄せ、冷却系統の非常用機器類が消失しました。そのため、原子炉や使用済み核燃料保管プールにある膨大な核分裂生成物(死の灰)の崩壊熱への対処ができなくなったのです。そこから6基の原子炉との泥沼の格闘が始まりました。半径20km圏内には避難勧告が出され、今も続いています。まず12日、1号機、13日、3号機で燃料棒の露出と水素爆発が相次ぎました。両者ともホ―酸を加え、海水注入でとりあえず危機は脱しました。14日には2号機で燃料棒が完全に露出したまま、半日以上、空焚きとなり、炉心溶融寸前の状況になりました。このとき、担当職員の脳裏には、チェルノブイリ原発事故の悪夢がかすめたはずです。やがて下部の圧力抑制室に欠損が見つかり、応急処置を施してその場をしのぎました。更に3号機、4号機の使用済み核燃料保管プールでも燃料が露出する事態になります。構内は放射能汚染が激しく、作業が難航する中、大型ヘリや地上からの放水でしのぐ状況でした。こうして11日から20日すぎまで、次々起こる深刻な事態へ後手後手に対処しながら、時間稼ぎをするのが精一杯でした。事故から約2週間を経て崩壊熱はかなり低減していますが、深刻な事態が続き、長期化は避けられない状況です。業務とは言え、作業に当たる労働者の命がけの行動に心からの敬意と感謝を表明します。

 事故当時、福島第1原発にどれだけの核分裂生成物(以下「死の灰」)が存在していたのかは明らかにされていません。100万kw原発を1年間稼働すると1トンの「死の灰」ができます。福島第1原発は、6基の原子炉で電気出力470万kwなので、仮に1年稼働分の使用済み燃料があるとすれば4、7トンの「死の灰」が存在していたことになります。これは、広島型原爆が出す死の灰の4700発分です。その一部が、すでに環境中に放出され、大気や海洋を移動し、福島県はもとより、東日本周辺、ひいては北半球を中心に地球規模で大気・海洋系を循環しているわけです。生物の食物連鎖過程では、順次、濃縮されていきます。実際、関東地方も含めて大気や野菜、水道水、一部の海水からも放射性ヨ―素やセシウムと言った核物質が検出されています。これらから、原発事故としての深刻度は、スリーマイル原発事故のレベル5を超え、レベル6とされています。

 私たちは、改めて核兵器や原発により作りだされる放射性物質による人体や生物への影響の大きさを思い知らされています。放射性物質の拡散が地球規模で問題になった例としては、ビキニ環礁での第5福竜丸の被災に象徴される1950年代の米ソを中心とした大気圏内核実験、及び1986年のチェルノブイリ原発事故による放射能汚染があります。これに今回の福島原発事故が加わりました。

 今こそ、人類史における地球規模の放射能汚染の実態をふまえつつ、福島原発の事故が訴えていることを熟考すべきです。開けてはならないパンドラの箱の脅威を直視すべきです。福島事故を耐震対策の不備で片づけてはなりません。2号機が完全に空だきになった時の悪夢を決して忘れてはなりません。制御不能になった時、美しい風景を残しつつ、生物を抹殺していく物質群を扱うことの是非をこそ問うべきです。都会を中心とした、華やかな生活で使う電気は、過疎地で膨大な「死の灰」を産み出しながら作られており、都市での繁栄は、「事故は起こらないはずだ」という過信と仮構の上に成り立っているのです。

「便利で豊かな暮らし」のために、放射性物質を大量に産み出すことと引きかえに発電をし、敵に対して抑止力となるという名目で核兵器が作られる。ともに、安全、安心を得ようとしての行為かもしれませんが、実際は、全く逆に安全・安心を脅かしています。安全・安心を確保したいのであれば、仮に事故になった時、潜在的危険性が高い技術を選ぶべきではありません。また仮に、事故が起きなくても、半永久的に管理せねばならない「死の灰」を大量に生産し、その管理をずっと先の世代に押しつけることは無責任な刹那主義であり、世代を超えた利己主義です。現世代が快適な生活をするために、生存にかかわる危険を冒してでも、この技術と心中する道を、私たちは選び続けるのでしょうか。

 今、韓国もそうですが、世界は、「原子力ルネッサンス」に浮かれ、国家としての経済的利益のために、原発の輸出競争に興じています。温暖化ガスを出さないクリーンなエネルギー源と宣伝されますが、今回の事故は、その嘘と愚かさを事実で証明しました。

 また核軍縮の道具としてのNPT核不拡散条約の1つの柱である「平和利用の権利」は、手放しで評価できるものでないことが示されたことで、「核兵器のない世界」をめざす上で、NPT体制そのもののあり方が問われています。

 地球は、宇宙のオアシス中のオアシスです。銀河系にある1000億の太陽系の中で知的生命体を宿す惑星を持つものは、さほど多くないはずです。惑星と太陽との距離、その大きさなどの物理的条件と、46億年という気の遠くなる悠久の時間の経過、その壮大な一連の歴史過程が生み出した、ある種の結晶が、人類を含めた地球上に生きる生物群集です。そのすばらしき存在としての人類が、自らの欲望のためには、自らの生存基盤を脅かしてもいいという愚行を繰り返すことは早々に中止すべきです。

 核の技術は、軍事、平和利用の如何に関係なく、生物の論理の対極にあります。福島原発の大事故は、一刻も早く核文明から脱却すべきだという人類に対する警鐘です。被災した多くの市民の救援と生活の再建にできるだけの協力をしつつ、科学技術に依存し過ぎた虚構としての社会を、一次産業の復権を含めて自立、自給自足を基調としたものへと変えていかねばなりません。核文明から脱却し、仮構の下での繁栄でない、地に足が着いた世界をつくるために、韓国をはじめ世界の皆さんとともに、歩みたいと思います。

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