山岡ミチコさんをお見舞い

知人の山根さんが被爆者の山岡ミチコさんのお見舞いに行くというので、会の代表の小倉さんと一緒に病院に行きました。

2006年8月7日、脳動脈瘤破裂で入院。たまたま同日訪ねてきた山岡さんのご友人が山岡さんが家の中で倒れているのを発見して救急車を呼んだそうです。鍵がかかっているので消防隊が窓を割って救出し、救急車で病院に運んだということでした。「友だちが見つけてくれなかったら私は死んどった」という山岡さんの目に涙が浮かんでいました。

山根さんによると、昨年末に病院を代わるまでは気力も見られず、大変弱っていらっしゃる様子だったとのこと。ごく限られた2~3人の人だけが見舞っていたそうです。今年に入ってからめきめき回復し、最近ではおかゆを食べることもできるようになったそうです。左半身が麻痺して動かないのですが、リハビリも積極的にこなしているとのこと。

もう一度被爆体験の証言をしたいという思いが山岡さんを支え、ここまでの回復に導いたようです。気力というのは、本当に大事なことだと感じました。

かくいうぼくの母は1990年の暮れにくも膜下出血で倒れ、それ以来ほぼ寝たきりの生活を続けています。最初の2~3年は父が母をリハビリするようにさせていましたが、結局母は気力が衰えていて回復のための努力をしなかったのです。

奇跡的な回復を遂げた山岡さん、また証言活動への復帰がかなうことを願います。それが山岡さんの生きる支えになっていると信じています。

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