オバマジョリティーの奔流

2009年8月6日の午前10時から正午、被爆から64年目の原爆の日を迎えたヒロシマで、平和のためのヒロシマ通訳者グループ (HIP) は「英語による被爆証言会」を開催した。HIPのメンバーである5人の被爆者が自らの被爆体験を外国人のために直接英語で語った。平和記念資料館地下にある定員150人の第一会議室は、休憩時間に参加者が入れ替わったことも手伝って、200人近い参加者で溢れた。しかも、そのほとんどが外国人だ。

2007年、2008年とこの取り組みを続けてきて、今年が3回目になるが、今年の参加者数が最も多かった。私たちが積極的に広報・宣伝を行っているわけではない。広島市が平和記念式典で外国人向けに配布する書類一式の中にこの催しのチラシが同封されているだけだ。それでも、会場がこのような熱気に溢れたことは、核兵器廃絶を求める世界中の人々の思いが広島の地に集まってきたことを意味する。

一つの重要な要因が、オバマ大統領のプラハ演説にあることは間違いない。これまで、核兵器廃絶は実現不可能なこととあきらめていた人々が、核兵器のない未来を心に描くことができるようになったのだ。特に、核兵器大国アメリカの国民への影響は大きかったと思う。証言会のアンケートを見ても分かる。米国からの参加者が全て、被爆者の思いを素直に受け止めており、核兵器の保有を正当化するような言葉はなかったのだ。

オバマ氏の演説と行動に限界があることは平和運動家の間で指摘されているし、おそらくそれは当たっているのだろうと思う。しかし、彼の意図にかかわらず、核兵器廃絶はタブーではなく、おおっぴらに語っても良いのだという意識を米国民と世界の人々に広げたことは大きな、というより、歴史的な貢献といってよい。秋葉忠利広島市長が平和宣言の中で、「オバマジョリティー」という新語を披露したが、それは単なる思いつきではなく、実在するのだということを強調したい。

被爆証言会に参加してくれた一人の米国人歴史教師の感想を紹介したい。27歳のアリシア・バスケスさんの言葉である。

I felt very privileged to be here and hear the testimonies of the survivors. As a public school history teacher in Seattle, I knew about the atomic bomb/WW II from a factual view. However, after visiting the Atomic Bomb Memorial and the Peace Park, I now have a better understanding of the human impact and the consequences of nuclear weapons / war as seen from individual’s experiences. I feel I now have a better understanding of the event, that will only make me a better teacher and help relay a message of peace to my students. I agree with Ogura-san and Hirai-san that the main way to affect peace and cause change is by sharing the message with others. Thank you for sharing your experiences — I felt fortunate to have heard them.

(日本語訳)
ここに来て、被爆者の証言を聞くことができたことをかけがえのないことと思います。シアトルで公立学校の歴史教員をしている者として、原爆や第二次大戦のことを事実としては知っていました。しかし、原爆資料館と平和公園を訪れた今、個人体験から見た核兵器と戦争の人間への影響と結果についてよりよく理解できました。この出来事を深く知ることができたことにより、私は教員として成長し、生徒達に平和のメッセージをリレーすることができるでしょう。他者とメッセージを分かち合うことによって平和に貢献し、変化を作ることができるという小倉さんと平井さんに賛同します。経験を教えてくださってありがとう。聴くことができて幸運と感じました。

2件のコメント

  1. 本当にその通りだと思います。
    批判するばかりでは行動は起こりません。
    大事なのは核兵器廃絶へ向けての行動ですものね。

  2. かおりんさん、コメントありがとうございます。
    理論家の間で論説の正しさを切磋琢磨するというのはやはり重要だと思うのです。
    でも、世界の世論が変わりつつあるこのチャンスは逃してはならないものだと信じます。

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