希望の街
広島は悲しみに包まれた街なのかという問いかけに、ぼくはこのように答えます。
ぼくは広島在住です。また県外からやってきたので身内に被爆者はいません。
ぼくは、広島は希望の街だと思っています。
辛い体験、怒り、憎しみ、悲しみを乗り越えて、体験を語ることを選んだ被爆者の人たちを見ていると、体験を語ること自体がセラピーになっていると 感じます。思い出すことも耐え難い、辛い体験を他の人々に語り、それが受け入れられることが、証言者の人たちを勇気づけています。
広島は悲しみに包まれた街なのかという問いかけに、ぼくはこのように答えます。
ぼくは広島在住です。また県外からやってきたので身内に被爆者はいません。
ぼくは、広島は希望の街だと思っています。
辛い体験、怒り、憎しみ、悲しみを乗り越えて、体験を語ることを選んだ被爆者の人たちを見ていると、体験を語ること自体がセラピーになっていると 感じます。思い出すことも耐え難い、辛い体験を他の人々に語り、それが受け入れられることが、証言者の人たちを勇気づけています。
他の掲示板に書いた記事を修正して転載します。
大学入学で広島に来て以来、早25年。その間ほとんどの期間、何らかのかたちで平和の活動に関わってきました。一番長続きしているのは、1984年に被爆者である代表と一緒に設立した平和をテーマにしたボランティアガイド・通訳グループです。平和のためのヒロシマ通訳者グループ (Hiroshima Interpreters for Peace) といいます。今年で22周年になります。
広島にいて日々感じることは、被爆者の高齢化により被爆体験を証言してくださる方が減り続けていることです。知り合いの被爆者の方が入院するとか、老人ホームに入るとかいうことが日常的に起こります。
8月3日(木)から、劣化ウラン兵器禁止を訴える国際大会(以下「NO DU国際会議」)の裏方をやっています。実は音響・照明係です。
イラクやコソボの戦争で使用された劣化ウラン弾による健康被害は、まだまだ広く知られているとはよべない状況です。そんな中、世界中で劣化ウラン弾問題に取り組んでいる人々が被爆地広島に集まり、劣化ウラン弾の使用禁止に向け、議論をしています。イラクに兵士として派遣された人々やイラク人の医療関係者らの証言を聞き、胸に痛みを覚えます。