盛りだくさん

今日は盛りだくさんな日曜日でした。

日曜の少し遅い朝食。定番はぼくの作るフレンチトースト。おいしいですよ。

昼から出かけたのは中央公園。お目当ては国際交流のお祭り「ぺあせろべ」。今年で24回目だそうです。始まった頃数回はボランティアスタッフとして関わっていました。国際交流関係のいろんな団体がブースを出していて、いろんな国の食べ物もバザーで販売されていました。ぼくが買ったのは、エジプトのスナック2種、タイの揚げ春巻きと333ビール(セット)、インドのサモサ、日本の生ビール、でした。タイのブースでは春巻きだけ買おうと思っていたところ、留学生らしき可愛いお嬢さんに「セットにするとお得」と説得され、缶ビールとのセットを買ってしまいました (^_^;)

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牛乳を注ぐ女

土曜日、国立新美術館にフェルメールの「牛乳を注ぐ女」を見に行きました。

・「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展
 http://milkmaid.jp/

割と小さな絵ですが、当時のオランダ絵画の中にあっては、画面が明るく、抜きんでて美しい色彩で描かれています。日本初公開とのことですが、生きている間に見られてよかったと思える絵でした。スカートの青がきれいでしょう? これはラピスラズリという宝石を砕いて絵の具にしたもので、金と同じかそれ以上の価値があったのだそうです。

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ミリキタニの猫

シネツイン1で公開中の映画「ミリキタニの猫」を夫婦で見てきました。地味なドキュメンタリー映画としては珍しく、満席に近い入場者でした。

80歳を超える反骨の路上アーティスト ジミー・ミリキタニの歩んだ歴史と、彼とリンダ・ハッテンドーフ監督との心の交流を描く。カリフォルニア州サクラメント生まれ、3歳で日本に帰国し広島に住む。17歳の時、自分は芸術家だからと父が勧める兵学校入学を拒否して渡米。第二次大戦が始まると、ツールレイクの日系人収容所に強制収容され、3年半をそこで暮らす。その間、市民権放棄の書類に署名させられ、市民権を剥奪される。この体験がミリキタニ翁の米国政府に対する不信感を決定的にする。監督の尽力により、1959年に市民権が復活していたことを知るまで、市民権も社会保障もなしで生きてきた。

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アメリカの大学生81人が来広

今日の午後4時過ぎ、米国イリノイ州にあるオーガスタナ大学の学生一行81人が広島駅に到着しました。今日から3泊4日で広島に滞在します。

明日は終日平和公園内で、資料館見学、被爆証言聴講、平和公園見学、日本の学生との交流などのプログラムがあります。平和のためのヒロシマ通訳者グループ (HIP)は、総勢15人で、ガイドや通訳などをボランティアで務める予定です。

学生たちは、11週間にわたる、東アジア・スタディツアーの一環として来広。台湾、香港、日本、中国の4カ国を回ります。日本には4週間の滞在です。引率の教授がおっしゃっていましたが、皆優秀で、良心的な学生さんたちです。このツアーは3年に1回行われるのですが、毎回HIPでお手伝いしています。ぼくも、ほぼ毎回皆さんに会っていますが、ヒロシマの原爆被爆の問題に深い関心をもってもらい、いつも感銘を受けています。

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長尾さんの証言

今日は、バー・スワローテイルで毎月6日夜に開かれている被爆証言を聞く会に参加しました。数えたわけではないのですが、20数人の参加者がいたと思います。

証言をしたのは長尾なつみさん。高等女学校3年生、14歳の時に被爆されました。場所は学校の校庭、爆心地から南東に1.4kmの地点でした。

顔と手足に大やけどを負い、腕の皮膚は爪の先から垂れ下がっていたといいます。鶴見橋を通り、不自由な体で比治山を歩いて越え、段原国民学校の講堂に避難。3日目に探しに来てくれた父親と再会し、戸河内の実家に連れ帰られたそうです。髪の毛は焼かれてなくなり、顔は赤黒いかさぶたに覆われ、腕は固まって曲げることができませんでした。一時は自暴自棄になったが、こんなことではいけないと気づき、前向きに腕の回復(リハビリ)に取り組むようになったそうです。

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